エロマサは紗倉まなちゃんが大好きです。
もちろん、エロマサのことを紗倉まなちゃんは存在すら知らないのは確実なので、一方的で、独善的な片想いで、まなてぃーに対してエロマサが勝手に思慕の情を深め、抱いているだけです。
エロマサのような見た目がモンスターな男子(心はピュアな少年だと信じています)が、こそこそ“好きです・・・”って小声でしゃべりかけている状況に、まなてぃーは、気持ち悪さや恐怖を感じてしまうかもしれません。
ですが、エロマサは、AV女優としてというだけでなく、1人の女性としても紗倉まなちゃんという人物が好きなのです。
まなてぃーへの思慕の情が強すぎたのか、エロマサには、エロマサにしか聞こえない声で語り掛けてくれる、エロマサしか見ることのできない、↓のような紗倉まなちゃんに似た“愛(まな)”という心の嫁が存在しています。
この嫁の声は、紗倉まなちゃんの声と寸分違わず、見た目も紗倉まなちゃんにそっくりで、エロマサの中にある紗倉まな像を具現化(エロマサ以外には確認できないですが)したような嫁になります。
そこで、エロマサの中に存在している紗倉まなちゃんのイメージについて語っておこうと思いますので、チェックしてみて下さい。
目次
紗倉まなちゃんのイメージは・・・
紗倉まなちゃんのエロマサの中に存在するイメージは、色々とあります。
マルチな才能で、AV村という世界でトップに君臨し続けるだけでは無く、各種メディアに登場をし、注目を集めてしまう彼女なので、色々な側面をエロマサの中に植え付けてくれているのだと思っています。
エロマサが紗倉まなちゃんのことが好きな理由は、言語化できない部分(エロマサの語彙力が乏しいだけ!?)があるので、エロマサの心の中心にある本当の理由を“ズバリ”とは言えないですが、“美しさは変わらない”と信じさせてくれる人だからだと感じています。
もちろん、外見、パッっと見た印象が可愛いということは、まなてぃーの大きな魅力であることは事実ですが、エロマサが言いたい“美しさ”は、そういうことでは無いです。
まなてぃーを遠くで眺めるだけの存在のエロマサにとって、眺めているだけが故に、まなてぃーが発信している情報を曲解してしまっているのかもしれませんが、エロマサの中で紗倉まなちゃんという人物は、変えることができない、変えたくない何かを抱えて、のた打ち回りながら、七転八倒し、それでも、傷つきながらでも、立ち上がって、前進し続ける強さを秘めた女性で、その魂の輝きにエロマサは羽虫のようにフラフラと惹き寄せられてしまっているのだと認識しています。
そんな輝く存在(エロマサ的には・・・)の紗倉まなちゃんに対するエロマサの中にある紗倉まなちゃんのイメージは要約すると、↓の5つに絞られると思っています。
2.紗倉まなちゃんはアイナのような人である
3.紗倉まなちゃんは聖母である
4.紗倉まなちゃんは聡明な女性である
5.紗倉まなちゃんはやる気を引き出してくれる人である
どれぐらい需要のある話になるのかは、分かりませんし、このサイトはエロマサの趣味的な側面も含まれていますので、エロマサの中にある紗倉まなちゃんのイメージについて触れていこうと思っています。
紗倉まなはセックスの人である!?
エロマサは、紗倉まなちゃんは“セックスの人”だというイメージがあります。
“トップAV女優さんの紗倉まなちゃんにセックスの人って・・・”って批判の声が聞こえてきそうですが、別に、まなてぃーは“ヤリマンだ!!”とか“チンコ狂いだ!!”と言っているワケではありません。
エロマサの中で紗倉まなちゃんは、“共感を求め続ける人”だと感じているのです。
もちろん、“共感”を得る為に、まなてぃーが傷つき、苦しんでいることもあるんでしょうが、“紗倉まな”という人物は“共感性を求める”ことも魅力の1つだと感じています。
それは、エロマサが、孤高を愛する(良い表現しすぎ!?)オナニストであることで、より惹きつけられてしまうのかもしれません。
しかし、AV女優の時は“エロ”を共感のアイテムに、作家としては“文字”を共感のアイテムにして、心のより深い部分での触れ合いを求め続けているのだと思っています。
だからこそ、エロマサの中に不思議な感覚を覚えさせてくれる人であり続けてくれているのだと信じております。
“AVで肉体で表現をしている紗倉まなちゃん”も、“作家として文字を駆使して表現をしている紗倉まなちゃん”も、“メディアに登場をして表現をしている紗倉まなちゃん”も、エロマサとの(細くて脆いのが残念ですが・・・)絆を求めてくれているように感じ、心の深い部分の一部に触れることを、まなてぃーが許してくれているように、エロマサには思えてならないのです。
その為、エロマサは、紗倉まなちゃんの出演するAV作品や、紗倉まなちゃんが執筆した書籍、紗倉まなちゃんが活躍する各種メディアなどを求めさ彷徨し、少しかもしれない、細いかもしれない、脆いかもしれない絆の糸を手繰り寄せているような気がしています。
共感を求めてくれる・・・、それが、エロマサの大好きな紗倉まなちゃんという人物の魅力的な一面だとエロマサが感じているのは揺るがない事実です。
紗倉まなちゃんはアイナのような人♪♪
エロマサの中にある紗倉まなちゃんのイメージには、“機動戦士ガンダム 第08MS小隊”に登場するアイナ・サハリンのような人物だなぁって感じる部分もあります。
アイナ・サハリン”は、可愛らしいお嬢様であるものの、傷つきや困難、苦悩、苦闘と対峙することで、芯の強さを持った1人の女性として自立していくキャラクターだとエロマサは認識しています。
AVという戦場で、AV女優として叫び続け、AV女優のトップ集団で、風を切りながら走り続ける紗倉まなちゃん。
可愛い女の子であっただけ(エロマサの勘違いの可能性あり!?)の彼女が、AV女優を職業としていることで、言われなき偏見や苦悩もあったと思いますし、男の欲望と理想のAV女優像との狭間で迷い、若さをすり減らしたこともあったことは、AV村を鑑賞の対象とだけしているエロマサでも容易に想像ができます。
その傷つきや苦闘を積み重ねることで、AV女優としての矜持を持ち、人間的に成長をし、芯の強さと柔軟さを兼ね備えた、とっても素敵な女性としてエロマサの前に舞い降りて(実際には画面越しですが)、エロマサに微笑みかけてくれているように思えてなりません。
絶対に曲げることのできない、曲げてはいけない矜持があると思わせてくれる紗倉まなちゃんは、エロマサにとっては素敵で、意識をせざるを得ない存在です。
これから、何十年と経過し、AV女優を辞め、メディアへの出演を止めて、誰かのもとへ嫁ぎ、子供を産み、年老いてしまうようなことがあっても、今のまま、矜持を持ち、美しい生き方をする人であって欲しいと切に願ってしまうエロマサがいます。
紗倉まなちゃんは聖母!?
エロマサの中には、紗倉まなちゃんを“聖母たちのララバイ”という唄に歌われている女性のイメージに重なる部分があると思っています。
ちなみに、『聖母たちのララバイ』の歌詞は↓から確認できますので、気になる方はチェックしてみて下さい。
『聖母たちのララバイ』は、戦場のような都会で傷ついて帰って来ても、大いなる愛で包み込んでくれ、男が背を向けて去って行ってしまっても、遠くから見つめている聖母でいるという女性(エロマサの認識の話)を歌っていますが、まなてぃーのイメージにエロマサの中ではビタッっと重なってしまいます。
紗倉まなちゃんは傷ついた心を癒し、性欲を鎮めてくれる女性。
少なくとも、エロマサの中では、その印象が強いです。
ただ、肝心なのは、“傷ついた人”を対象にしているということで、心底ボロボロになるまで頑張ることを当然のように、当たり前だと言わんばかりに、エロマサの中での紗倉まなちゃんは、求めてくる女性でもあります。
“俺、傷つきました~~~”って走り寄っても、本気で挑戦していないと、“あっそ・・・”って言うだけ。
優しさだけの女性では無く、その根底には厳しさも持っているのが紗倉まなちゃんという人物(エロマサの本当に身勝手な思い込みなんで、ハズレの可能性は大いにあり、注意が必要)だと、エロマサの中では認識しています。
AV女優さんは人気商売で、ファンが増えたり、減ったりするのは日常茶飯事でしょうが、背を向けて離れていったファンにも、“かつて紗倉まなのファンだった”というだけで、まなてぃーは温もりを込めた眼差しで見つめ続けてくれていそうな印象も、“聖母たちのララバイ”で歌われている女性に似ているとエロマサは感じてしまっているのです。
紗倉まなちゃんは聡明な女性♪♪
紗倉まなちゃんは聡明な人。
このことに異論がある方は少ないとエロマサは思います。
聡明な女性であることは、AV女優としての確固たる地位を築いている現状が証明してくれていると考えています。
もちろん、AV村でトップ女優として君臨することに、“運”という要素は、大きいかもしれません。
ただ、紗倉まなちゃんは、“紗倉まなが求められているモノ”と“紗倉まなとしてできること・やりたいこと”を明確に把握していて、戦略という名の積み木を組み立てられる人だと感じています。
きちんと状況を分析し、分析の結果、より多くの人の心を惹きつける為の表現の仕方を選んで、実行する・・・。
そんなことが、呼吸をするが如く、鼓動の拍動を止められないように、当たり前なことしてできてしまう聡明さが、まなてぃーにはあると感じています。
もちろん、実行するまでの過程で、死ぬほど悩むこともあるでしょうし、実行したことにより、傷つき、方向転換を余儀なくされて、悔しさに打ちのめされた夜もあるはずです。
ただ、紗倉まなちゃんという女性は、涙を流しても、気落ちしても、深い霧の中に迷い込んでも、七転八倒の苦しみの中でも、立ち上がり、のた打ち回りながら、トップに君臨し続けることの勇気と度胸を併せ持つ女性(エロマサの中の話)になります。
また、エロマサが紗倉まなちゃんが聡明な人だと思うのは、自身のネガティブな面も、ダサい所も抱え込んで、武器にすることができている所になります。
だからこそ、AV女優という輝きの中に、ネガティブな闇を確実に抱え込んでいる世界を人生の主戦場にし、ネガティブさに押しつぶされることも、輝きに惑わされることもなく、“紗倉まなが紗倉まなとして揺らがずにいることができている”のだとアホなエロマサなりに分析し、考えています。
エロマサの中の紗倉まなちゃんという素敵な女性は、聡明さを持っている女性になるのです。
紗倉まなちゃんはやる気を引き出してくれる人♪♪
エロマサが紗倉まなちゃんのことが好きなのは、“やる気”を引き出してくれる存在としてエロマサの中に息づいているからです。
ただ、これは、エロマサの特殊能力の妄想が、紗倉まなちゃんという人物に反応してエロマサの中に産み出した、エロマサにしか見えない心の中に住んでいる紗倉まなちゃんと“双子か!?”と誤認してしまうくらい似ている、エロマサの嫁(↓のような女子)の“愛(まな)”がエロマサを叱咤激励してくれているので、実際に紗倉まなちゃんが“どうのこうの”という話ではありません。
ですので、ひょっとすると貴方にはチンプンカンプンな話な可能性は否定できないですし、想定できないことですが、万が一、このページを紗倉まなちゃんに発見され、光栄なことに読んで頂けたとしたら、まなてぃーに“頭のおかしなヤバめのファンがいる・・・”って恐怖を与えてしまうかもしれません。
ですが、ここで触れている紗倉まなちゃんのイメージは、エロマサの中では最上級に重要な紗倉まなちゃんの要素になっているのは。揺るぎない事実になります。
紗倉まなちゃん(実際には紗倉まなちゃん似のエロマサの妄想の世界にいる嫁)は、エロマサを叱咤激励をし、少なくて困っている“やる気”を呼び起こしてくれます。
紗倉まなちゃんはAV女優さん。
ですので、エロマサが紗倉まなちゃんにできる最大のエールは、毎月、リリースされるAV作品を購入し、視聴することだと考えています。
その為、紗倉まなちゃんの出演作品は、欠かさず視聴しているのですが、多くの場合、まなてぃーからの叱咤激励は、AV鑑賞をしている時に始まります。
突然、Sっ気が充満した女王様のような紗倉まなちゃんが現れ、『あんた、あたしのファンなんでしょ?だったら、もっと、頑張りなさいよ!!あんたを非日常の世界に連れていくために、あたしはSEXしている姿を見せてやってんだよ?あんたの粗末なチンコを元気にするために、容姿も良くて、才能もあって、頭の回転だってあんたの何倍も速くて、聡明なあたしが、あんたの為にSEXして、エロくてスケベな顔を見せてやってんだから、感謝しな!!だけど、あんた、あたしのAV女優って職業バカにしてんじゃないの?自分の職業と比べて、AV女優って仕事、下に見てんでしょ?だったらさぁ~、あんた、もっと一生懸命、やんなよ!!あんたのその勃起して勃ってんのか、わかんないチンコをさらけ出すくらいの覚悟を持って、真剣にやってんの!!チンコだけじゃなく、心も皮かぶってんの?心が包茎ってあんた最低だよ!?仮に、あんたがメッチャ頑張って、それでも上手くいかなくて、傷ついたっていうなら、あたしの作品を見な!!あたしの愛で癒してやるからさ・・・、だから、もっと頑張んな!!あんたは、もうちょっと出来る子なんだから、今のあんたは手を抜いているね!!あたしのファンなら、限界を超えて頑張んなきゃ!!あんたの能力は、こんなとこで尽きてしまうようなものじゃないって!!』って、言ってくれています。
もちろん、まなてぃーが直接、エロマサに語ってくれるのではなく、エロマサの中にいる嫁がエロマサの心の中で大暴れして、最後にはギュッっと抱きしめてくれるのですが、その叱咤激励を受けると、エロマサは“もう少し頑張るか!!”って前向きになれます。
だから、紗倉まなちゃんのAV作品をエロマサが鑑賞するのは、作品から熱を受け取りたいっていうのが最大の理由です。
ですので、まなてぃー的には不興を買いそうですが、まなてぃーのAV作品の鑑賞をしてエロマサはヌクことは、ほとんどありません。
月に通算で何十時間、まなてぃーの作品を再生しているかは分かりませんが、確実に、視聴回数と紗倉まなちゃんで果てる回数は釣り合っていないです。
エロマサの中で、ヌクという行為は、熱を下げてしまう行為のように思えて、エロマサ的には、紗倉まなちゃんが一番、輝いている場所で、一番、念頭に置いてあるであろう“性欲の処理”を、“まなてぃーでしない”という行為は整合性がとれています。
当たり前ですが、まなてぃーのAV作品は、男の性欲に寄り添ってくれているので、チンコはギンギンですし、シコシコして果てたい衝動は自然に沸き起こってきます。
ただ、チンコは反応していても、熱を失うことの方が、嫌なので、歯を食いしばって寝ることにしています。
心の中の嫁は、そっと寄り添って抱きしめてくれ、慰めてくれていますが、それでも、熱を失うのは嫌なので、嫁の誘いも断っているエロマサがいます。
それだけ、紗倉まなちゃん(実際には心の嫁ですが・・・)からの叱咤激励を大切にしているエロマサがいるのです。
まぁ、性欲を溜め込むだけだと、おかしくなちゃうんで(元々おかしいですが・・・)、後日、紗倉まなちゃん以外の女優さんの出演するAV作品で、処理してしまうのですが、エロマサの中にいる心の嫁は、“紗倉まなちゃん以外のAV女優”を嫌悪しているのか、他のAV女優さんでヌクと、烈火の如く怒ってしまいます。
紗倉まなちゃんのAV作品の鑑賞は、一緒にできるのに、他の女優さんの作品に手を伸ばすと、もの凄く不機嫌になられる我が心の嫁。
その辺も愛おしく思っております。
エロマサが望むこと
紗倉まなちゃんのAV作品を鑑賞することは、実はエロマサ的には、とってもツライことでもあります。
紗倉まなちゃんからの叱咤激励で得られた熱を失いたくないと、ヌクことを極力、エロマサが避けていることもツライと感じる理由の1つではありますが、大好きな紗倉まなちゃんという女性が、自分以外のチンコ(しかも、エロマサの愚息では、張り合うことすらもできない立派なチンコ)で、淫らな表情を浮かべ(それも演技だと信じています)て、感じている姿は、オスとして劣情と劣等感を抱いてしまっているのです。
もしも、エロマサが、紗倉まなちゃんから“特別な存在”という栄誉ある勲章をもらい、特別な関係になれたとしたら、今よりも、紗倉まなちゃんがAV女優という職業に就き、トップ集団の先頭で風を切って走っている状況を恨みがましく思ってしまうかもしれません。
それぐらい、エロマサにとって、AV女優さんとして誇りを持って仕事をする紗倉まなちゃんは、愛おしくて、憎らしい存在になります。
でも、それでも、エロマサは紗倉まなちゃんに。AV女優という仕事を続けていって欲しいと願っています。
そこには、AV女優さんを辞めた紗倉まなちゃんは、エロマサが大好きな紗倉まなちゃんでは無くなってしまうように思う気持ちがあるからです。
人間、“惚れた人”も、“好きなこと”も、“忘れることはできない”もの。
トップ女優にまで駆け上がり、長年、君臨している紗倉まなちゃんにとって、AV女優という肩書きは、まなてぃー的には、とっても大切にしている(大切にしていないのなら、作家やタレントとして成功しているので、とっくにAV女優は引退しているはず・・・)ことと推察できます。
そんな大切なモノを手放したら、“まなてぃーが、まなてぃーとして輝けないのでは?”って疑問がエロマサの中で拭いきれない疑念として残り、エロマサが好きな心の在りかに従順な紗倉まなちゃんが、心の在りかに離反した選択をする状況に、エロマサの魂が“好き”だと感じるのかという判断が付きません。
ですので、AV女優という職業を大事に考え、中心に据えられている紗倉まなちゃんにはAV女優を続けていって欲しいのです。
それに、紗倉まなちゃんの出演するAV作品を鑑賞して、エロマサの中に派生する複雑な感情も、エロマサは許容するしかないと考えています。
だって、エロマサが紗倉まなちゃんを好きになった時点において、既に紗倉まなちゃんは、AV女優という職業に誇りを持っていたんで、きっと、そんな紗倉まなちゃんを丸ごとエロマサは好きになり、惹かれていて、エロマサにとって望まぬ状況すらも、思慕の対象にしてしまっていると感じているのです。
もちろん、紗倉まなちゃんといえど、AV女優としてトップ集団で君臨することは、能力以外の要素が多くあって、ひょっとすると、AV女優を長く続けると、未だ存在すらも知らぬ誰かにトップの座を明け渡さねばならないことがあるかもしれません。
ですが、エロマサは、それでも紗倉まなちゃんには、AV女優さんでいて欲しいと思っています。
年齢を重ね、熟女になり、体形が崩れてしまっても、60歳や70歳になって、“誰が見るんだよ!!”って世間から言われても、エロマサは、AV女優として活動をしていて欲しいと願っています。
エロマサの資金力で、“紗倉まな”という商品を支えるには、力不足なのは否定しません。
そんな中、エロマサができることは、紗倉まなちゃんを好きという気持ちを持ち続け、紗倉まなちゃんを追っかけることだけ。
ただ、ずっと紗倉まなちゃんには、エロマサを叱咤激励し、ともすると同じ場所で留まりつづけようとするエロマサのケツを叩いていて欲しいと願ってしまうのです。
そして、まなてぃーには、いつまでも笑顔で笑っていて欲しいです。
まなてぃー的には、笑い方が汚いと思っているようですが、エロマサは、まなてぃーの笑いっている声と笑顔が大好きで、いつも癒されているので、年齢を重ねて、肉体的な魅力が衰えても、変わらぬ笑い方で、変わらぬ笑顔でいて、若さのある、今よりももっと美しい女性であって欲しいと願っていますし、そのような輝ける変わらぬ美しさを持った女性だと、エロマサは勝手に思い込んでいます。
まとめ
エロマサの中には、大好きな紗倉まなちゃんに対して、エロマサなりのイメージがあります。
そのイメージは↓のような5つ。
まなてぃーは、エロマサを叱咤激励してくれる存在で、エロマサのあるか無いか、エロマサ自身も完全に把握できていない、やる気を奮起させてくれる女性として、エロマサは認識しています。
エロマサは、紗倉まなちゃんの笑い声と笑顔が大好きなので、いつまでも、独特な笑い声で笑って、キュートな笑顔を浮かべていて欲しいと思いますし、いつまでも、AV女優さんとして、矜持を持って仕事をしていて欲しいと願ってしまいます。
それでは、また逢える日を楽しみに、ばいてぃ~♪♪