紗倉まな著『春、死なん』が野間文芸新人賞を逃すも・・・!? エロマサの心は・・・。

野間文芸新人賞逃す

2020年11月2日は、エロマサにとって悔しさが心を支配してしまう日でした。

紗倉まな先生著作の『春、死なん』が野間文芸新人賞を逃してしまったのです。

エロマサ自身のことのように、エロマサの心を支配し、エロマサの書いた作品が受賞を逃したワケでも無いのに、悔しくて悔しくて、仕事終わりに、受賞を逃したことを知ったエロマサは、まなてぃーの心中を想うと、止めようも無く涙が出てきてしまい、会社から自宅まで2時間くらいをかけて、歩いて帰ってきました。

もちろん、野間文芸新人賞ノミネートされることが偉業でありますし、受賞ができていても、受賞を逃した現実に遭遇した今でも、エロマサの中で輝きが変化することも、『春、死なん』の素晴らしさが変わることも無いですが、ただ、『春、死なん』という作品は、受賞をしてもおかしくないと思っていたので、それなりにショックを受けています。

まぁ、まなてぃーのガッカリさに比べたら、取るに足らないくらいのモノなんで、どうでもいいですが、まなてぃーは言葉を紡ぎだした本人になるので、最初から“受賞はムリ”って感じの発言をされていたとはいえ、その華奢な身体にショックを受けて涙を呑んで、淋しい夜に1人耐えているかもしれないと思うと、エロマサのようなクズな男の心も哀しみで満たされてしまうのです。

ハート

とはいえ、野間文芸新人賞という賞がどのくらい凄い賞なのか、『春、死なん』が文学としてどれくらいの価値のある作品で、世間的にどこがどう凄い作品なのかを理解していないエロマサの同情的な感情なんぞ、紗倉まなちゃんには不要だってことも、この騒動は教えてくれていて、エロマサ的には悔しい想いだけを味わったワケでは無いことが、救いとなっています。

まなてぃーの『春、死なん』が野間文芸新人賞を逃したという事実に触れたエロマサの胸中を綴っていこうと思います。

目次

『春、死なん』野間文芸新人賞を逃す!?

野間文芸新人賞逃す・・・

2020年11月2日は、エロマサ的にはショックな出来事に遭遇してしまいました。

それは、紗倉まな先生の著作の『春、死なん』が野間文芸新人賞を逃してしまったことです。

エロマサは紗倉まな先生の書かれた『春、死なん』が好きなだけで、“熱烈応援”という狂気じみた熱意を旗印に、まなてぃーの応援をするだけで、『春、死なん』の創作に携わってはいないので、“お前がショックを受けることじゃない!!”って批判には、“仰る通りでごぜぇやす”と言うしか無い現状があるのはアホなエロマサにも痛すぎるくらいに理解はしてはいるのですが・・・。

ただ、『春、死なん』が野間文芸新人賞を逃したとを、仕事終わりに情報を仕入れたエロマサの心をえぐっていってしまったことも否定できない事実なのです。

紗倉まな著『春、死なん』が野間文芸新人賞の受賞を逃すという情報に触れたエロマサは、自分のことのように胸が締め付けられてしまいました。

無性に悔しく、紗倉まなちゃんの心情を思うと、涙がジンワリ滲んできてしまって、“良い作品なのになぁ・・・”って思いだけが強くなってしまうのです。

もちろん、受賞された作品が凄いってことは間違い無いですし、『春、死なん』と同じように受賞を逃してしまった他のノミネート作品が素晴らしいってことは理解していますが、エロマサと世界を同化させ、エロマサというメッチャ狭い範囲に限定した時には、『春、死なん』は、2020年に話題になったどんな文芸作品よりも素晴らしく、心に残った作品なのです。

その認識は、“野間文芸新人賞”を受賞できていたとしても、受賞できなかった現実に遭遇した現在でも、エロマサの中に変わることなく流れている1つの想いにります。

エロマサ 喜び

また、エロマサの中という限定的な世界の話を許してくれるのであれば、エロマサ的野間文芸新人賞はもちろん、エロマサ的芥川賞、エロマサ的直木賞から、エロマサ的ノーベル文学賞までの文学と文芸を冠する賞を『春、死なん』は総ナメしてしまっています。

もちろん、エロマサの世界の中では、世界中から大絶賛されている作品でもあります。

まぁ、“エロマサの妄想の世界だろ!?”って指摘されると“ギクッ”っとなってしまうのですが・・・。

それに、野間文芸新人賞や芥川賞、直木賞が、どのような賞なのかも、『春、死なん』が文学として、何処が優れた作品なのか、何が他の作品と違うのかということは、全く理解していないエロマサですんで、そんな奴の意見が、まっとうなモノなのかは、解らないでいます。

とはいえ、エロマサが『春、死なん』を素晴らしいと感じていることは、今までも、これからも変わらずに確固たる地位を築いてしまっています。

受賞を逃したというニュースに触れて、感じたこととしては、おかしなことなのかもしれませんが、エロマサには文学的価値などは、何にも理解できていない『春、死なん』の存在の大きさだけを改めて知ってしまい、文学的才能の欠片も、文学的素養の欠片も持ち合わせていないエロマサではありますが、紗倉まなちゃんの紡ぐ言葉と、紗倉まなちゃんの生み出す世界観に、魅せられているのだと感じずにはいられなくなってしまいます。

エロマサ 照れ

個人的には『春、死なん』に収録されている“ははばなれ”という作品の方が、群像に掲載された時からお気に入りで、まなてぃー的には“ちょっと待った!!”って言いたくなるかもしれないけど、図書館に『春、死なん』が所蔵されているのであれば、“春、死なん”も“ははばなれ”も一度、読んで見て欲しいって願っています。

きっと、エロマサとは違って、貴方には、文学的な素養があると思いますし、文学的な素養の無いエロマサでも魅せられてしまっているので、エロマサよりも深い部分で、作品や紗倉まな先生と共感できる部分があると思いますから、『春、死なん』を読んだことの無い方は、本当に読んで欲しいというエロマサの想いが届いて欲しいって感じています。

紗倉まなちゃんは・・・

紗倉まなちゃんは・・・

エロマサにとっての紗倉まなちゃんという女性は、素敵な人です。

外見的な素敵さは言葉にできないくらい持ち合わせていて、才能も溢れる人なのに、“女王様”として君臨するのでは無く、優しく佇んでいて、温かい言葉を投げかけてくれているって、エロマサは感じています。

とはいえ、まなてぃーの隣で感じているワケでは無く、まなてぃーが米粒大でしか確認できないようなところから、望遠機能を駆使した機器を使用して姿を確認し、伝聞や書き物によって感じられる言葉に触れ、まなてぃーの温かさを感じているというのが、エロマサ的には悲しいですが・・・。

でも、まなてぃーは優しさと愛で心を満たし、まだ2回しかイベントに参加したことが無いエロマサなんぞにも、優しさの溢れる笑顔と、心に深い愛を注入してくれるような優しい言葉を投げかけてくれるメッチャ素敵な女性です。

だからこそ、今回の野間文芸新人賞を逃したことで傷ついていやしないかと、紗倉まな先生の執筆活動を応援するしかできないエロマサは心配になってしまいます。

まなてぃー自身は“ノミネートされただけで、受賞はムリ”というような発言をされていたと記憶していますが、エロマサなら、ノミネートされた瞬間から、受賞もしていないのに、受賞コメントをどうするだとか、受賞の記者会見で語る内容の吟味をしたり、友人達を相手に、想定問答をしたりしそうなんで、まなてぃーの中に微かとはいえ、期待があったとしたらと、切ない気持ちになってしまいます。

ハート

それに、優しい人って、笑顔の奥に哀しさを隠すのが上手な人が多いから、まなてぃーがその華奢な身体で“野間文芸新人賞”に関する事実を受け止め、誰にも悟られずに心で泣いているのならって、まなてぃーとの距離感も、薄い関係性も忘れ、そして、まなてぃーの実際の気持ちを確認もできない存在のくせに、1人であたふたと狼狽してしまっているエロマサがいます。

まなてぃーは聡明な女性なんで、辛いことがあったら、酒を飲んで忘れるというような上手にやり過ごす方法は熟知されていると思いますし、心の内を吐露できる人も周囲にはいると思いますので、まなてぃー的には、狼狽するエロマサを見て、“周りのファンとノリが異常にかけ離れたおかしな奴がいる”って恐怖を与えているかもしれませんが、エロマサは何故か切ない気持ちになってしまっています。

ただ、エロマサの中で野間文芸新人賞を逃したということが、“エロマサにとっては、ラッキーなことなのでは!?”という奇妙な想いも少しだけあるのです。

野間文芸新人賞を審査した方々が、どのような観点や視点で、ノミネート作品を吟味し、『春、死なん』にジャッジを下したのかということはエロマサには想像もできないことですが、少なくとも、受賞した作品に比べて、足りない部分が感じられたってことなんだと思います。

それは、“紗倉まな”というエロマサの中では“大作家先生”が、実は“まだ未完の状態”と良識と知識の豊富な方々に言われたってことのようにエロマサには感じられ、未完の状態で、あんなにも素敵な言葉を紡いで、素敵な作品を産み落としているのに、もっと凄い作品を書く素養があるって認定されているようで、エロマサの中で“完成された紗倉まな先生は、もっと偉大な作家になるってことっすか!?”っていう驚きと期待に代わっていってしまうのです。

エロマサ

次回作がどのような形で世の中に送り出されるのかをエロマサは理解していませんが、きっと次回作は、『春、死なん』よりも素敵な作品になっていて、まなてぃーらしい素敵な言葉が散りばめられているのだという匂いを感じてしまっています。

エロマサの勝手な妄想を膨らませすぎると、まなてぃーを苦労させてしまうかもしれないので、妄想を膨らませるのは控えようと思いますが、まなてぃーには、素敵な言葉を紡いでいくことを止めないで欲しいって願ってしまっています。

エロマサ感動!?

エロマサ感動!?

野間文芸新人賞を逃したことを受けて、↓のようなツイートをされていました。

これからも書き続けるという言葉に、無性に胸が熱くなってしまうエロマサがいますが、エロマサの胸を熱くさせているのは、まなてぃーのツイートだけではありません。

返信ツイートでつぶやかれている言葉が素敵すぎて、まなてぃーのファンって“メッチャ良い人の集団じゃないか!!”って想いを改めてさせてくれたからです。

まなてぃーはメッチャ優しい人だと思いますが、まなてぃーと比べて勝るとも劣らない優しさを心に秘めている人達であることが、アホなエロマサにも手に取るように理解できる言葉で溢れていて、まなてぃーに向けられた言葉なのに、変にエロマサの心に何かを満たしていってくれ、ジンワリと眼に涙を溜めさせられてしまいます。

まなてぃーの優しさがファンに伝達していったのか、優しいまなてぃーの元に、優しいファンが集ったのかはエロマサには判断できないですが、“まなてぃーのファンはメッチャ素敵な軍団です!!”ってまなてぃーのファン以外の人に教えたくなってしまうエロマサがいます。

そして、“エロマサもまなてぃーのファンですねん”ってエロマサだけは、ファンとしては異質なモノを抱え込んでいるのを忘れて、自慢気に語ってしまいそうです。

ハート

それくらい、優しい言葉と気持ちに溢れていて、“まなてぃーはどんなに苦境に陥っても、絶対に心が折れることは無い”って確信してしまうくらいでした。

メッチャ素敵なファンの集団の最後尾にエロマサという異物がいることに申し訳なさを感じてもしまいますが、エロマサも素敵な集団の末席とはいえ一員でありたいと強く願ってしまっているのも偽りなき事実です。

とにかく素敵すぎて、エロマサは感動をしてしまっています!!

まとめ

まとめ

2020年11月2日はエロマサの心に悔しさを残して去っていきました。

それは、紗倉まなちゃんが書いた『春、死なん』が野間文芸新人賞を逃してしまったことが原因となっています。

エロマサが『春、死なん』の創作に関わったワケでも、紗倉まな先生の執筆活動を支えたワケでもありませんが、1人の『春、死なん』を愛している者として、野間文芸新人賞を受賞して欲しいと心から願っていたので、エロマサの心をえぐってしまうニュースでした。

エロマサ自身が心血を注いで世に産み落としたワケでは無いので、エロマサがガックリとうなだれるのはおかしいですが、とはいえ、悔しさを抑えることができずに、涙を流してしまいそうな勢いでいます。

紗倉まなちゃんは、ノミネートをされた際に、“受賞は無い”っていうようなことを言っていましたので、ある程度、想定をしていたのかもしれませんが、そうはいっても、まなちゃんの心がわずかばかりでも傷ついていないかと思うと、切ない気持ちになってしまっています。

エロマサの中で紗倉まなちゃんは優しい人で、エロマサの知る限り、優しい人っていうのは、穏やかな顔に下に、哀しみを隠すのが上手な人が多いので、紗倉まなちゃんの迷惑も考えずに心配してしまっております。

ただ、エロマサに悔しさだけを残していっただけでなく、まなてぃーのファンの優しさに改めて触れることができる機会ともなっていて、エロマサの中に温かさを吹き込んでくれ、流した涙は悔しさだけでなく、感動の涙も混ざっていました。

ハート

エロマサは、紗倉まなちゃんのファンの中では異質なファンなので、エロマサは除外して考えて欲しいですが、今回のことに関連したまなてぃーのツイートへの返信ツイートには、優しさに溢れるツイートが寄せられていて、エロマサに向けられたモノでなく、まなてぃーに向けられてモノであるのに、溢れる優しさに触れた時、エロマサの中に感動を置いて行ってくれています。

“まなてぃーのファンって素敵♪♪”ってなってしまい、そんな素敵なファンの一員としてエロマサも末席にでも良いから座っていたいと願ってしまっています。

それでは、また逢える日を楽しみに、ばいてぃ~♪♪

てぃーポーズ

コメントは受け付けていません。